ヤマチク事業停止のニュースを聞いて
この曲を聴くと97年年明け冬の金沢を思い出す。
あの曲が流れていたあの頃、ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」が座礁し、黒い重油が日本海を埋め尽くしていた。
市街地にまで重油の臭いが届き、そらから白い大粒の雪が降っていた。
そんな金沢の街で聴く小谷美紗子は心に響いた。
あの曲を金沢でヒットさせたのはヤマチクさんの功績だった。
ちなみに、小谷美紗子もまた重油流出で損害を被った京都府宮津市出身のシンガーである。
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津田大介さんのTweetで金沢の地域密着CDショップヤマチク(山蓄)事業停止のニュースを知った。
▼ヤマチクが事業停止 石川県内の音楽文化に影響必至 - 北國新聞
http://www.hokkoku.co.jp/_keizai/K20090307301.htm
CDが売れないことで多くの小売店が規模縮小や廃業が相次いでいる。
その中でもヤマチクさんが倒れるというニュースの衝撃は音楽業界にとってもタダゴトではない。
客ではなく、レコード会社のセールスプロモーターとしてのヤマチクさんへの思いを書いてみたいと思う。
ぼくは95年春から東京異動が決まる97年3月まであるレコード会社の社員として北陸地区でレコード営業をしていた。
富山県のフクロヤさん、福井県の松木屋さん、そして石川のヤマチクさんが北陸エリアの三大ショップチェーンで、なかでもヤマチクさんぼくの持ってた予算の中でも最大のウェイトを占めていた。
ヤマチクチェーンでいかにして自社CDを売るかが勝負だった。
ヤマチクさんで特筆すべきことは二つある。
まずひとつは、地域発のヒットを生み出す力がスゴかったこと。
我々レコード会社、地元局のFM石川、そしてヤマチクの店頭、三位一体で新人ミュージシャンをしっかり丁寧にプッシュする座組みができていた。
金銭的な生臭いものはなく、ヤマチクの担当者はちゃんと楽曲を聴き、そのミュージシャンの可能性などをしっかり分析して評価して仕入れてくれた。
それからもうひとつ、香林坊109にはクラシック専門店舗があった。
そんなに広くはない店舗に膨大な量のCDやLPがあり、スピーカーからものすごくいい音でかかっていた。
北陸以外からもクラシック愛好家が訪れる有名店で、店長さんが心からクラシックが好きってことが伝わってくるホントにいい店だった。
<ヒットを作ってたくさん売る>というビジネスをしながらも、それほど利益がでるわけでもないクラシックをちゃんと守り続けておられた。
ヤマチクは「山蓄」と言うだけあって蓄音機屋さんから始まったお店。
蓄音機のターンテーブルにレコードを載せて音楽を聴くことの喜びがビジネスの起点になっていたんだと思う。
2003年に亡くなられた八日市屋浩志会長の蓄音機コレクションは有名で金沢蓄音機館という施設も運営されていた。
この時代、どこでも容易にどんな音楽でも手に入れることができるようになった。
ぼく自身、そこに加担した一人。
でも、本当にこれでよかったのだろうかという疑問はここ数年増幅していくばかり。
ヤマチクさんがなくなることで、金沢の音楽文化の独自性がもうなくなってしまうんじゃないだろうか。
音楽は時代を写す鏡だけれど、街の表情を映す音楽は街の人にしか選べない。
商売相手としては厳しい面も多々あったけど、文化の香る金沢の地で音楽を愛し続けてこられたのがヤマチクさんだったと思う。
音楽を愛してこられた従業員の方たちが、これからも変わらず音楽を愛し続けられる生活が続くことを祈ります。

[...] 通システムが崩壊した。 ▼ヤマチク事業停止のニュースを聞いて - champ.la/sonic http://champ.la/sonic/music/yamachiku/ 同時に崩壊したものがあるとしたら、<音楽を聴く>という行為そのもの。 [...]
May 16th, 2009 at 07:49